暮らしから始めること

暮らしと畑

もともと、顔も名前も知らなかった大家さん。

ひょんなご縁で住まわせてもらうことになったのは、彼の実家。

昔ながらの縁側と築60年くらいの立派な、立派なお家で、

そのご近所一円のハブみたいな家に住み、暮らし、関係を紡いで行くことになりました。

朝、雨戸を開ける前の縁側

ある晴れた朝のこと。

畑のおばさんがいつものように、収穫した野菜をきれいにして、袋に入れて、野菜スタンド(うちの軒先にあった野菜の無人販売スペース)に置いている。

「おはようございまーす」と言いながら手伝いに行くと、黒板に何か書いてるところだった。

『おもちつきにきて下さいね ○月○日』

当日、いろんな機材とともに朝から張り切ってやってきたおじさんとおばさん。

大量のもち米を洗ったり、杵と臼を引っ張り出してきたり、お茶を準備したり。

僕らも夫婦フル出動で、でも頑張りすぎず、一緒に準備を進める。

ホームページがあるわけでもなく、S N Sで拡散するわけでもない。

ただこの野菜スタンドに情報を書いただけで、どれぐらいの人が集まるんやろう…とぼんやり考えていた。

けれど、僕の予想とは裏腹に、地元のおばあちゃんたちや親子、大学生までが次々にやってきた。

蓋を開けてみれば、入れ替わり立ち替わりトータル60人くらいが立ち寄ってくれた。

ひと組のランニング中だった夫婦が通りすがりに見つけて来てくれたが、他の人たちはほぼみんな、あの野菜スタンドの黒板を見て来てくれていた。

大家さんと2人で、「あのスタンドには、明らかにマーケティングの概念を超える何かがある…」と言いながら笑った。

他にも流しそうめん(なんと当日の朝開催を知った我々)、収穫祭、誰かの誕生日会…。

当日は知ってる顔も、初めましての人も。

いろんなご近所さんとの関わりが、仕事や生活にブレンドされ続ける連続の毎日。

疲れて途中で嫌になるかと思いきや、結局、その家が取り壊されるまで2年以上、楽しく過ごせたのが嬉しかった。

***

柿の木の季節が終われば、その公共スペースへの落ち葉の処理が発生する。

夏の雑草の伸びに驚きながら、その速さと草刈りのイタチごっこ。

ゴミ出しのカラス対策をするお家が増えていくにつれて、徐々に移動していくカラスのターゲットのゴミ捨て場。

強風が吹けば古い造りの家は揺れ、ご近所さんがうちの軒先に置いていたトイレットペーパーが空を舞って、一帯の木々がトイレットペーパーにまみれたこともあった。

向かいの共用ベンチに「どうぞ!!」と書かれたお菓子が置かれたら、お向かいのおばちゃんが相談に来てくれて、その処理を任されることになったりも。

毎週毎日、本当にいろんなことが起こる。

この家に越してくる前、毎日いろんなことが起こるのは、家よりも仕事場の方が多かった。

時には判断が難しくて、関係する人々の間の微細な空気感を読んで一つ一つのアクションを起こしていく。

元々はゆかりが無かった家に暮らして紡がれた、ご近所コミュニティとの関わり。

全部、暮らしが壮大な実験になった。

***

ここで身に染みて学んだこと:

何をするにも、「暮らしから始めること」が自分にとってどれだけ大事か。

コントロールの意識が働いてそれを実行した瞬間に、自分が望む流れが止まり、信頼が薄まり、歪みがどんどん生まれていく。

こんな経験もたくさんしたし、大家さんは何百倍も経験してきて今の在り方に活きているのが伝わってくる。

大家さん一家と暮らしを半分シェアしながら、先祖代々伝わる歴史にも触れながら一緒に過ごす日々。

僕らが住む前に、そこで暮らしていたのは大家さんのおじいさん。

彼が使っていた家具、壁に貼っていた無数のメモもそのまま過ごしていると、会ったことのないおじいさんのことも昔から知っていて、一緒に暮らしていた感覚になる。

おじいさん以外の、既に亡くなっている家族の面々の息吹も、日常でたくさん感じながら暮らした。

この家で結婚した僕らにとって、その時間はもう大きな大きな、宝物になった。

Kentaro

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