信仰について聞かれたときの僕の答え

旅と海外移住の話

海外で旅したり移住したりしていると、宗教観についての話題をふられることも多いです。

けれど、僕はキリスト教の洗礼をうけるなど、既存の宗教の教徒になったことは一度もありません。

タスマニア(オーストラリア)に留学していた高校生当時は、宗教観についての質問にうまく答えられませんでした。

ぼんやりと自分の中に答えがあるのはわかるのに、それがうまく表現できないという感じでジリジリ、モヤモヤしまくっていた当時。

それから15年の月日が流れて、徐々に徐々に、そのとき表現できなかった「ぼんやりした、でもそこにあることは知っている信念」の正体にピントが合ってきて、まだ成長途中ながら、だいぶ言語化できる語彙力もついてきた。(スッキリ感がけっこううれしい)

信仰心についての問いに対して僕が何て答えるようになったのか、今の言語化力では結構まどろっこしくなっちゃいますが、語彙力総動員して以下に書いてみます。

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既存の宗教の教徒じゃないから、例えば “Do you believe in God?”(神を信じる?)と聞かれたら、こう答えると思うよ。

“Not really. But it doesn’t mean I’m an total atheist or Idon’t have a religeous faith at all.”
(ううん。だけど、僕は完全に無神論者だ、とか宗教的な信仰心が皆無だって言ってるわけじゃないんだ。)

質問してきた人の宗教における神を信じてるわけじゃないと思うから、”Yes, I do” とは言いたくなくて。
実際、お祈りとかの宗教的習慣や、儀礼はやってないし。

でも、僕は「自然の法」や「宇宙の法」的なものを心から信頼してるって、はっきり感じる。

それは経典に書いてある既存の宗教とは違う、自分の経験から感じてきた、僕の選択の礎や拠り所になってることだから、「信仰心」って呼んでもいいんじゃないかって感じてる。

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誰に教えられたわけでもなく生き物に備わってる本能とか、

自然が作り出した生態系や雪の結晶の意味わらないぐらいの完璧さとか、

銀河系や太陽系、台風、栓を抜いた時の水のふるまい、DNA、原子とその周りを回る電子の様子に至るまでみーんな渦や螺旋の動きをするフラクタルだということ…。

こういう自然の神秘的なものごとに対して、「なんかわからんけど、自分の思考を超えたところで完璧やなぁ…」って子どもの頃から強く思ってきました。

なので、僕には

「自然の摂理や法則の中に、自分が心地いいと感じる選択の答えがあること」

への絶大な信頼があって、

「自然の摂理や法則をどう解釈して、生き方に反映させていくのか」

がとっても重要なテーマなのです。

人の中にある「自分は本当はこう生きたい!」という想いはこの自然の摂理・法則の中に入るとずっと感じていますが、人が作り出す様々なテクノロジーや主義、経済活動、果ては引き起こされる気候変動なども含め、どこまで含まれるのかについては日々感覚が変わりながら日常の選択をしています。

これからも死ぬまでずっと、移り変わりと進化を続けていきたいなぁと感じているこの頃です。

Kentaro

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